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史跡・ゆかりの祭り

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★秀吉・三成出逢いの像・・豊臣秀吉ゆかり 

★長浜城家臣団屋敷跡 ★長浜地名起源歌碑

 滋賀県長浜市  2010.10.

■JR長浜駅


早くも来年の大河ドラマ「姫たちの戦国」ムードでいっぱい。浅井三姉妹のマスコットもかわいらしい。
















●駅に展示されている「置手拭形兜」(おきてぬぐいなりかぶと)

紀伊の甲冑師が制作、かぶとの上に手拭いが置かれたデザインで何ともユニークで珍しい。長浜城博物館蔵。

■長浜駅東口に建つ、秀吉公と石田三成公出逢いの像

三成は1574年・15才の時、鷹狩りの帰りに近江の観音寺でお茶を所望した長浜城主・秀吉(当時38才)に、気のきいた抹茶の接待をして秀吉に気に入られた。3回所望された茶は、毎回茶の器と温度と量を変え、三献茶伝説となった。才知と機転がきく三成は秀吉の家臣となり、1600年の関ヶ原の戦いまで、終生、豊臣の家臣としての忠義を貫く。















■秀吉公の馬印・千成びょうたんが東口駅近くの道路にある

■豊国神社手前にある、長浜城家臣団屋敷跡(長浜市呉服町)















■家臣団屋敷跡の横に並ぶ、長濱の地名起源歌碑(竹中半兵衛の歌碑が刻まれている)

竹中半兵衛の子、重門の著する「豊鑑」より、自筆の歌碑を刻む

長濱真砂「君が代も わが代も共に 長濱の 真砂のか須の つき屋らぬまで」 (竹中半兵衛)


秀吉は天正元年(1573)、浅井長政を滅ぼし、小谷城主となったが、山の雪と寒気に悩まされ、翌春、今浜城の建築に着手。地名を長浜と改めた。小谷城や近郷から寺院や商家を移し、楽市楽座の制度と300石の地租免除の恩典を与え、商工業の発展に尽くす。
昭和48年、長浜開町400年を迎えるにあたり、秀吉公の遺徳を称え、歌碑を刻む。





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