◆◆戦国武将の館U ◆織田信長◆豊臣秀吉◆石田三成

史跡・ゆかりの祭り

戦国武将の館U・目次に戻る

トップページに戻る    

★豊臣秀吉・京都新城・・秀吉最晩年の城

京都市上京区京都御苑   2009.5.28

●秀吉の京都新城・・仙洞御所

秀吉の最晩年に、京都御所内に城が建てられた。その場所は仙洞御所の敷地。秀吉が息子秀頼の行く末を心配して建てたとされる城であまり知られていない。御所の中だと守りが固く、最も安全な地帯と考えられたようです。秀頼は元服や昇進で数回利用している程度。秀頼は母・淀殿と大阪城で暮らしている。













1600年関ヶ原敗戦・・北政所、勧修寺家に逃げる

1598年秀吉が伏見城で亡くなった後、翌年の1599年に北政所は伏見城からこの京都新城に引っ越してきました。徳川家康に大坂城西の丸を明け渡した年です。秀吉の死後、家康によって圧力がかけ始められた時期でした。そして1600年、関ヶ原の合戦で家康軍が勝利したとき、北政所は裸足で、御苑内の勧修寺家に逃げたそうです。

藤原北家の流れをくむ勧修寺家には、後陽成天皇の生母が住んでいました。この勧修寺家があった場所は、蛤御門を入って左手のエリアです。現在は駐車場になっています。京都新城(仙洞御所)から走ればこの地に数分で着くので、平素から逃げ込む場所はここと決めていたと思います。


























戦国武将の館U・目次に戻る

トップページに戻る 

SEO [PR] おまとめローン 冷え性対策 坂本龍馬 動画掲示板 レンタルサーバー SEO