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史跡・ゆかりの祭り

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★長浜城歴史博物館 ★長浜城御馬屋跡

・・豊臣秀吉ゆかり
  

滋賀県長浜市公園町10−10  
2010.10.



■長浜城の歴史

天正元年(1573)、浅井長政を滅ぼした後、秀吉は琵琶湖の北側を支配した。姉川合戦と小谷攻めで功績のあった秀吉は小谷城の城主となった。しかし、水陸の要所としてふさわしい今浜に目をつけ、翌年から築城を開始し、天正3年に今浜を長浜と改めて、この長浜城に移る。秀吉はこの城に天正10年までの7年間在城した。これ以来長浜の地は、商工業が大きく発展した。

天正10年(1582)、信長が本能寺で亡くなった後、開かれた清洲会議で、長浜城は柴田勝家に譲られるが、同年12月、城主・柴田勝豊(勝家の甥)を攻め、賤ヶ岳(しずがたけ)合戦の軍事拠点とした。天正13年から18年の5年間は、山内一豊が城主となった。4年前の大河ドラマ「功名が辻」では、この地が観光スポットとなった。山内一豊移封後は佐和山城主・石田三成の支配下に置かれた。

その後慶長11年(1606)以降、徳川家康の異母弟・内藤信成が城主をつとめ大修復を行う。元和元年(1615)、城主の移封により廃城となる。城の機能が彦根城に移される。石垣、櫓が彦根城に運ばれる。その他の建築物も長浜の寺院に移築された。

■長浜城歴史博物館

長浜城は昭和58年(1983)に再興された。城と博物館の両方の機能を持つ。2階と3階に展示室がある。2階展示室では、湖北「水」物語がテーマの展示であった。琵琶湖の水をどのように活用してきたか、土木工事の様子などが展示されていた。また織田信長や豊臣秀吉の御朱印状も興味深かった。

3階の展示室では「浅井三姉妹プレ企画〜浅井三代と小谷城」の特別展示もあった。大永年間から天正元年にかけて浅井三代(亮政・久政・長政)が半世紀にわたり、北近江を支配してきた足跡を追う。小谷城絵図や城下町の出土品、姉川合戦図、浅井久政・浅井長政・妻お市の肖像画が印象的。

















天守部分(戦国合戦パノラマ展望台)、戦国合戦パノラマの世界・・合戦地の展示












天守から北西・竹生島(ちくぶじま)方面を望む。東南方面(写真;右)。












■長浜城御馬屋跡・・馬屋があった場所。豊公園の湖周道路と駅前道路が交差する位置にある。















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