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◆養源院・・淀君ゆかり  東山区三十三間堂 2005.8

法住寺に隣接しています。参道が長いのが印象的です。

秀吉の側室、淀君が父、浅井長政の追善のため文禄3年(1594)に建立。寺号は長政の法号、養源院をとったものです。建立後、1619年に火災で焼失しましたが元和7年(1621)徳川秀忠正室、崇源院(淀君の妹)が伏見城の遺構を移して、本堂を再建した。以来徳川の菩提寺となっている。

この本堂の正面と左右廊下の天井は、慶長5年(1600)関ヶ原の前哨戦で伏見城が落城した際、家康から同城の守備を命じられた、鳥居元忠らが自刃した時の血に染まった板の間を移築したもので、「血天井」と呼ばれています。

本堂・松の間の襖絵「松図」や杉戸絵は俵屋宗達の筆とされ、重要文化財になっています。













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