花の寺 (2007.8月〜)

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NO54.初公開の祇園閣(大雲院)・・紅葉

★織田信長父子供養塔、五右衛門の墓も 
 

京都市東山区祇園町南側 2006.12.5


大雲院(浄土宗の単立寺院)の敷地に鉾型の祇園閣があります。非公開寺院ですが、2週間だけ「京の伝統工芸品展」にともなって初公開(11月22日〜12月6日)されました。場所は祇園の南、高台寺ねねの道のつきあたりにあります。

祇園閣は昭和2年(1927)に大倉財閥の大倉喜八郎によって建てられました。大正の終わりごろ、大倉氏は金閣・銀閣に次ぐ閣を別邸(真葛荘)の一角に建てることを思いつきました。展望台付きの高閣という希望をとり入れ、平安神宮を設計した伊東忠太氏の設計により建てられました。しかし大倉喜八郎氏は祇園閣が建った昭和2年、92才で亡くなり住む夢は叶いませんでした。その後、この地に昭和48年(1973)、大雲院が移築され、それにともなって祇園閣も修復され今日に至っています。

















●3階建てで高さ34mの祇園閣の展望台から、東山一帯が眺望できます。巨大な観音や、知恩院も見られます。















●大雲院・・織田信忠の法名から

織田信長の従兄弟にあたる貞安(ていあん)上人が、天正年間に織田信長父子の菩提を弔うために二条烏丸の御池御所跡に大雲院を建てました。寺号は織田信忠の法名・大雲院殿にちなんでいます。昭和になってこの祇園の地に寺が移りました。
















●織田信長 ・信忠の墓

貞安(ていあん)上人は、信長の遺骸を荼毘にしたものを清玉上人から分骨してもらい供養したといわれています。

●石川五右衛門の墓





●豊臣秀頼ゆかりの鐘楼(重文)

豊臣秀頼が北野神社(北野天満宮)に寄進した鐘楼。鐘楼は八坂神社に移された後、この寺にさらに移設されました。















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