花の寺 (2007.8月〜)
NO19.京都御苑B・・梅林
京都市上京区京都御苑 2008.3.12UP
★京都御苑 百三十年
明治10年に京都御苑が発足してから、今年で130年になります。
明治以前までは、この辺りは公家町と呼ばれ、朝廷政務を仕切る摂政・関白職に代々任じられた近衛家、九條家、二条家、一条家、鷹司家の五摂家を最高として、130を越える公家屋敷や各親王の御殿、寺院の御里坊などがありました。御殿のほとんどは明治時代に入って取り壊されました。現在、冷泉家の屋敷が唯一残っています。
★道長の邸宅・枇杷殿は梅林付近・・紫式部も住んでいた
●梅林・・1009年、一条天皇の里内裏になった
平安時代、この梅林辺りに藤原道長の「枇杷殿」があり、一条院内裏が焼けたとき、一条天皇はここを里内裏とし、紫式部も中宮彰子に従ってこの地に住んだ。一条院内裏の火災は1009年10月5日の明け方。火事の知らせに、道長や紫式部、女房たちも慌てふためいたという。
●度重なる火災
一条天皇の代になって平安宮の内裏が3度も焼けた。そのたびに天皇は一条院を里内裏として移ったという。一条院の里内裏の火事を入れると4度目となる。ほとほと火事には嫌気がさしたことでしょう。そんな折、天皇の御在所が検討され、道長と娘・妍子(きよこ)の邸宅があったこの辺りの枇杷殿が方角も良いことから選定されたという。
●清水谷家(しみずだにけ)の椋(むく)の樹
このあたり(御所の南西角近く)に清水谷という公家の屋敷があって、そこに植わってた樹とされています。昔、清水谷家は吉田村(現在の東山区吉田)から御苑内へ移転の時、吉田神社の御屋根に生えた芽生を鎮守の神木として植えたそうです。
樹齢300年あまりで、御苑の銘木のひとつになっています。また1864年の蛤御門の変で、長州藩士・来島又兵衛がこの木の辺りで討死したと伝わっています。
●御所の南西角・外塀
●建礼門・・檜皮葺の屋根に金色の豪華な建具がついています。天皇やVIPが出入りする門といわれています。
●黒木ノ梅
始め九條家址にあり、大正度大礼の節、この地に移された。英照皇太后や、古くは霊元天皇の御愛樹とも伝わる。
●御所南西角から大文字山が見えてとても幻想的です。
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