京都の祭り (2006.4〜) トップページに戻る 目次に戻る
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NO47 (2007.2.3) 上京区今出川通七本松上る
おかめ福節分会・・千本釈迦堂
●おかめ伝説・おかめ信仰の寺・・節分におかめが登場
千本釈迦堂(大報恩寺)
藤原秀衡の孫にあたる義空上人が、鎌倉時代・1227年に建てた寺。義空は釈迦念仏道場として、本尊に釈迦如来(重文)を安置した。千本とはこの近くの千本通りから由来する。嵯峨釈迦堂と区別するために「千本釈迦堂」と称している。この寺の近くには、三大念佛狂言で有名な「千本えんま堂」もある。
【おかめ伝説・おかめ信仰の寺】・・大工がらみの逸話により、建設関係の信仰も厚い
義空上人が本堂を建てるとき、優秀な棟梁が選ばれた。その棟梁は飛騨の長井飛騨高次だった。高次は本堂の親柱4本のうち、1本を誤って短く切ってしまう。困り果てた高次に、妻のおかめが一計を案ずる。他の3本の柱も同じ長さに切りそろえて、桝組をはめて高さを調節しては・・と。高次は妻の言うとおりにして立派な本堂が完成した。しかし上棟式の前日、おかめは、「女の知恵で建てたとなると夫の名に傷がつく」として自殺してしまう。この言い伝えは大工の仲間に語り継がれ江戸時代に大工の一人が、「おかめ供養塔」を作った。写真のおかめ像は昭和54年に、おかめを偲ぶ人たちによって建立された。この日はたくさんの人がおかめさんを拝んでいました。
●節分会なので山門にたくさんの提灯がつるされています
●国宝の本堂・・京都市内最古の建物
檜皮葺きの本堂は、応仁の乱の時、戦禍を免れた。西軍・東軍の申し合わせで、特別にう取りはからわれた。享保の大火でも火災を免れたため、災難厄除・招福祈願の寺とされた。節分祭はこの本堂で行われました。
●法楽の儀・・おかめさんにご挨拶
僧侶・山伏・おかめ・鬼の一行が本堂前の群衆をかきわけて、「おかめ像」にお参りに行きます。ちょうど目の前を通ってくれてラッキーでした。
●節分恒例の狂言「鬼追いの儀」
おかめ像に挨拶した御一行は本堂に戻り、本尊に拝んだ後、「鬼追いの儀」を始めました。鬼は豆をぶつけられてもいっこうに退散しようとしません。そこへ愛想のいいおかめがにっこりほほえんで、鬼を改心させます。鬼は素直に退散します。
●年男による豆まき
混雑していて危険です。拾うスペースは全くありません。豆がまかれるたびに人の群が傾きます。撮影するのがやっと。ピーナッツが飛んできて体にくっつきました。
●あまざけの暖簾もおかめ ●境内の一角にある布袋さん ●千度参りの千度石
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