◆◆平安ゾーン ◆平安時代の史跡・祭り・人々(桓武天皇、菅原道真、安倍晴明、源義経etc)

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 (2006.10.22) 京都御所〜平安神宮

時代祭D・・5〜8.室町・鎌倉・平安時代(主として婦人列)

●淀君の打ち掛け・・新調して850万円、刺繍だけで丸2年・・動く美術館



5.中世婦人列(鎌倉・室町時代)
 担当 祇園東お茶屋組合

昭和20年代に整えられた。昭和29年に大原女・桂女が加わる。

●大原女(おはらめ)
洛北大原の婦人は古来、薪・炭等を頭にのせ、京の町へ売りに出る風習があった。

●桂女(かつらめ)
洛西桂には桂包(かつらつつみ)という婦人の髪を包む風習があった。この姿で町に鮎や飴を売りにでかけた。また旧家には巫女として婚礼・出産などの慶事に呪文を唱えた。室町時代の小袖に桂包という姿。














●淀君

打ち掛けは傷みが激しく、新調したばかり。850万円と、祭りの衣装の中では最も金額が張る。朱色地の綸子(りんず)に本金箔が乗り、藤やもみじなど四季の草花の刺繍が入っています。刺繍だけで丸2年が費やされた。時代祭はまさに「動く美術館」です。

●静御前

義経の愛人。白拍子姿で登場。水干に烏帽子をかぶっていますが、バックの木の葉と重なって烏帽子が見えにくい。


















6.城南流鏑馬(やぶさめ)列(鎌倉時代) 担当 本能、開智etc

流鏑馬・やぶさめは平安時代から行われた騎射の技で、馬場に三ヶ所の的を立て、射手が馬上から矢つぎばやに射るもの。承久3年(1221)5月、後鳥羽上皇は朝威回復を計り、流鏑馬に託して城南離宮に近畿10余国の武士1700人を招集し、華美を競い武具を飾って行われたと伝えられている。本列はそれを再現したもの。狩装束の射手武士を中心に5組の編成になっています。


7.藤原公卿参朝列(藤原時代) 担当 春日、初音etc

●コストがかかっても本物志向の時代祭

平安時代中期以降、藤原氏の盛時に於ける文武両様の姿を現したもの。朝儀に参内する文官・武官の公卿と殿上人を模す。今年は殿上人の束帯(写真↑淀君の左隣り)など264点に費用が550万円かけられた。装束の襟の高さなど、細部にまで忠実に再現されていて、職人の本物志向への気概が伝わる。手抜きをすると後世に正しく技術が伝承できなくなるからです。写真は小舎人童。



8.平安時代婦人列 担当 先斗町お茶屋組合

●巴御前

木曽義仲の妻。女性で唯一馬に乗る。巴の武装姿は『源平盛衰記』による。天冠に鎧をまとい、長刀を持っている。

余談ですが2007年1月20日、木曽義仲の命日に合わせ、京都八坂の塔(法観寺)にある義仲の墓の傍らに巴御前ゆかりの黒松の苗木が植えられました。この苗木は富山県南砺市の市民グループより寄贈されたもので、巴御前が亡くなったあと侍女によって植えられた松とされています。

●常盤御前

源義朝(牛若の父)が亡くなったあと、幼子を連れて六波羅の平清盛のもとへ名乗り出る時の姿を模したもの

●清少納言・・旗と従者で顔が隠れてしまった。後ろに紫式部もいます 

●小野小町・・平安時代の才色兼美な女流歌人

















●慈悲深い和気広虫(和気清麻呂の姉)が育てた、孤児たち 

●百済王明信(くだらおうみょうしん)

女官では最高位の従三位。百済王敬福(きょうふく)の孫。理白(りはく)の娘。桓武天皇の信頼が厚く、延暦9年の詔でも「百済王らは朕の外戚なり」と宣べられている。



















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