◆◆平安ゾーン ◆平安時代の史跡・祭り・人々(桓武天皇、菅原道真、安倍晴明、源義経etc)

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2006.10.22  京都御所〜平安神宮(2kmの巡行)

時代祭A・・1.維新勤王隊列(明治維新時代)


●観客13万3千人 ●京都御所・正午出発

●牛馬72頭、2000人の、壮大でみやび(雅)な2kmに及ぶ隊列

●隊列の通過に2時間・・年々増え続ける隊列・・来年は「室町時代列」も加わる


◎明治から順々に時代が過去に下る「倒叙」形式・・・第2回目からの祭りが「祭神である桓武天皇の神幸列が街のご繁栄をご覧になる、祭りがそのお供をする・・」という趣旨になってから明治時代をトップに持ってくるようになりました。時代は江戸、安土・桃山と下っていきます。

◎戦争で昭和19年〜昭和24年の6年間、中断しました

◎祭列の規模と担当学区・・・明治の当初・六講社六列(700人)だった組織が、大正に入って八列に、今では十講社十八列(2000人)に拡大しました。また隊列の担当学区や団体がそれぞれ割りふられています。


★祭列は正午12時・に京都御所・建礼門前を出発・・先頭は名誉奉行の京都府知事・京都市長を乗せた白馬車です。続いて時代祭の旗(写真↑)、直垂姿に騎馬の総奉行(写真↑)が通過します。



★★1.維新勤王隊列(明治維新時代)


★明治維新勤王隊列(担当学区;大正10年から朱雀第一〜第八が担当、それ以前は山国村有志が奉仕していた)

【維新・山国隊の衣装】・・・維新の際、幕府の遺臣が東北地方で反抗したときに、丹波国・山国村の有志が山国隊を組織して官軍に参加したときの行装を模したもの。筒袖の衣のうえに三斎羽織(さんさいはおり)を羽おり、義経袴をはき、足に脚絆・足袋・草履をはき、頭に鉢巻き、鉄砲や刀を持った。














●大将は頭に赤熊(しゃぐま)を被った ●勇壮な笛や太鼓の楽隊













☆幕末志士列(担当;京都青年会議所)

孝明天皇・百年祭を記念して昭和41年より参加する

●坂本龍馬(手前)と中岡慎太郎・・羽織・袴に帯刀 

●桂小五郎(木戸孝允) ●坂本龍馬

















☆七卿落(しちきょうおち)

江戸の幕末、文久3年(1863)8月、薩摩藩・会津藩の公武合体派に敗れて失脚した尊皇攘夷派の公卿7人が追放されて長州藩へ逃れた。この公卿を七卿落(しちきょうおち)という。

●志士・真木和泉(まきいずみ)・・尊皇攘夷を訴え七卿を動かす。元治の変で敗れ53才で自刃  

●志士・久坂玄瑞(くさかげんずい)・・尊皇攘夷を訴え、七卿を動かす。蛤御門の変で敗れて25才で自刃 
 

●真木和泉と、久坂玄瑞 
 
















七卿落・東久世道禧(ひがしくぜみちとみ・・菅笠と蓑姿)と、志士・真木和泉

東久世は貴族院副議長となり、明治政府の要職についた
 

写真中央・・七卿落・錦小路頼徳(にしきこうじよりのり)
菅笠(すげがさ)に蓑(みの)の都落ちスタイル。錦小路は七卿落事件の翌年病没した。

●橋本左内(さない)・・蘭学医学を修める。安政5年、26才で捕らえられ処刑される。衣装は旅姿。 

















●吉田松陰・・和漢学・兵学に秀でる。安政5年、30才で連座の罪で処刑される 

●近衛忠熈 (このえただひろ)の衣冠束帯姿の、束帯を持つ随身(ずいしん)と舎人(とねり)
近衛忠熈 は孝明天皇時代、右大臣、左大臣となる。事変で辞官落飾。文久に還俗して関白、勤王派。 

●姉小路君公知(あねこうじきんとも)
勤王派。文久3年(1863)、25才・御所東北の猿が辻で暗殺された。朱の衣冠の参朝姿が目立つ。
















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