京都の祭り (2006.4〜) トップページに戻る  目次に戻る

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NO21 (2006.7.17)

祇園祭A・・どしゃ降りの山鉾巡行1. 烏丸御池交差点付近

★先頭・長刀鉾〜11番・白楽天山


祭りのクライマックスは山鉾巡行。四条烏丸に集結した山鉾が9時に出発します。山鉾巡行は「動く美術館」といわれ国の重要無形文化財に指定されています。
巡行当日の7月17日は、朝から近年まれにみるどしゃ降り。とにかくすごい巡行となりました。私は長靴・カッパ・かさの3点セットで身を固めました。カッパを着ていたので横から吹き付ける雨でも衣類が濡れず長時間の巡行見物に耐えることができました。巡行は晴れた日の倍、時間がかかりました。鉾によっては次の鉾が来るまで30分以上もかかりました。


(1)先頭 長刀鉾(なぎなたほこ)

烏丸御池交差点付近にこの鉾が現れたのは予定通り、10時55分ごろでした。

【鉾先に疫病邪悪を払う長刀をつけている。この鉾は古来より巡行の先頭を行く。前懸・胴懸(鉾の横の織物)はインドや中国の絨毯(じゅうたん)である】
















稚児が乗るのも長刀鉾だけです。

















(2)番 郭巨山(かっきょやま)・・左2枚

鉾の前には必ず町衆がつきます。鉾を引っ張る人たちはびしょ濡れでした。郭巨(かっきょ)の人形も見られます。

【中国の郭巨(かっきょ)が黄金の釜を掘り当て母に孝養を尽くしたという故事による。新しい胴懸は上村松皇筆の華麗な花鳥図


(3)番 霰天神山(あられてんじんやま)・・右2枚

鉾の前には必ず鉾の名前を書いた旗がつきます。この旗を持つ人もびしょ濡れでした。天神の鳥居が印象的です。

【京都に大火があったとき、霰・アラレが降り、猛火は消えたがその時天神様が降ってきたのでそれを祀ったのが起こり。火除けの守り神

















(4)番 蟷螂山(とうろうやま)・・左1枚・・山の装飾類は近年新調されたそうです。

【「かまきり山」とも呼ばれ、かまきりと御所車の車輪が動くからくりが特徴的。からくりが施されているのはこの鉾だけ



(5)番 函谷鉾(かんこほこ)・・右2枚

【中国戦国時代斉の孟嘗君が家来の鶏の鳴き声によって函谷関を開けさせ脱出できたという故事による。前懸は旧約聖書創世紀の場面を描いた16世紀の毛綴で重要文化財】


















(6)番 油天神山(あぶらてんじんやま)・・左2枚

【油小路通りにあり、朱塗りの社殿に天神像を祀る。梅原龍三郎原画の朝陽図は綴織


(7)番 四条傘鉾(しじょうかさほこ)・・左から3枚目・・子供らによる棒ふりの踊りは当日ありませんでした。

【円形の傘が特徴的。綾傘鉾と同じ形態の鉾。傘の上に御幣と若松を飾る


(8)
番 占出山(うらでやま)・・右1枚

【神功皇后が、肥前の国松浦で鮎を釣って、戦勝の兆しとしたという故事による。前懸と胴懸は日本三景を描いた逸品。安産の守り神




(9)番 鶏鉾(にわとりほこ)・・左2枚

鶏鉾が現れるまで、約30分かかりました。雨で列の調整を計っていたのでしょう。どしゃ降りの巡行はとにかく大変そうでした。

【中国堯の時代に天下がよく治まり、訴訟用の太鼓も用がなく鶏が巣を作ったという故事による。見送りはトロイの王子と妻子の別れを描いた16世紀ベルギー製作の毛綴で重要文化財】



(10)番 太子山(たいしやま)・・左から3枚目・・太子の人形がわかりにくく残念でした。

【聖徳太子が四天王寺建立にあたり、自ら山中に入って良材を求めたいいつたえにより、太子を祀る。智恵の守り神


(11)番 白楽天山(はくらくてんやま)・・右1枚・・白楽天と道林禅師の人形もわからなく残念。

【唐の詩人白楽天が、道林禅師に仏法の大意を問うところ。前懸はトロイ城陥落を描いた16世紀の毛綴である


















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