京都の祭り (2006.4〜) トップページに戻る  目次に戻る

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NO10 (2006.5.7)

千本えんま堂大念佛狂言@・・えんま様を祀る。紫式部供養塔のある寺 

上京区廬山寺閻魔前町

この寺は千本通りに面していて、本尊に閻魔(えんま)法皇を祀っているので「千本えんま堂」と呼ばれている。平安時代の歌人・小野篁(おののたかむら・802〜852)がこの地に閻魔法王の姿を刻み安置して開基になったと伝えられている。小野篁(おののたかむら)は、昼間は朝廷の歌人として仕え、夜は閻魔庁(えんまちょう)に仕えていたという伝説があります。夜、東山区・六波羅の六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)の井戸から冥土の閻魔大王のもとへ行き死者の裁判に立ち会い、朝になると嵯峨釈迦堂に現れたとか・・。
その後、この寺は1017年比叡山の定覚上人が引接寺(いんじょうじ)として開山しました。この寺の正式名称は、引接寺(いんじょうじ)といいます。

●えんま堂(本堂)

本尊に閻魔法王(1488年、定勢作)を祀っています。入り口の尼さんの看板は、この寺に紫式部の供養塔があることによります↓。

●紫式部の供養塔(重要文化財)

多重塔としては非常に珍しい、十重塔。「至徳3年(1387年)、圓阿造」の刻銘があります。この寺に紫式部(972〜1031)ゆかりの塔があったというのは驚きでした。このえんま堂の所在地は「廬山寺(ろさんじ)閻魔前町」と言って、千本通りと廬山寺(ろさんじ)通りが交差したところにあります。「廬山寺(ろさんじ)」は紫式部の邸宅があった寺で、『源氏物語』が執筆された地でもあります。平安時代の938年に元三大師(がんさんだいし)がこの辺りに創建しました。廬山寺通り付近に供養塔があってもおかしくないな・・と思いました。廬山寺は現在、京都御苑の東側にあります。元亀2年(1571)、織田信長の焼き討ちを逃れて応仁の乱後、現在地に移されました。

















●冥府へ届く鐘

かつて蓮台野に葬送する際に撞(つ)かれた鐘は、迎え鐘・送り鐘としてお盆の行事に欠かせなく、お盆の頃も賑わいを見せるそうです。


●抹茶の接待

えんま堂の狂言(京都の三大念佛狂言)のチラシ(左)を持って行ったら、「千本えんま堂狂言保存会会長之印」を押してくれて、お茶接待の招待状と引き替えてもらえました。お抹茶と柏餅がおいしかったです。



















抹茶席は畳に毛氈(もうせん)がひかれ、五月人形や菖蒲の飾り、大念佛狂言の絵を貼った屏風が飾られていました。子どもたちが描いた絵がとても生き生きしています。

















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