京都の祭り (2006.4〜) トップページに戻る  目次に戻る

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NO8 (2006.4.26)

「壬生(みぶ)大念佛狂言」

●京の三大念佛狂言のひとつ

●新撰組ゆかりの寺(壬生寺・みぶでら) 

中京区坊城通り



律宗(りっしゅう)・壬生寺は正暦2年(991)、快賢僧都(かいけんそうず)によって創建された。本尊は延命地蔵菩薩(重文)であり、水掛け地蔵をはじめ多数の地蔵菩薩を祀っている。古来よりの地蔵信仰と共に、厄除け・開運の寺として庶民の信仰を集めている。境内には大念佛堂(重文)、千体仏塔、阿弥陀堂などがある。長谷川等伯筆の列仙屏風(重文)も所蔵している。(写真;
三門と本堂)






★★一夜天神(いちやてんじん)・・道真を祀る


三門をくぐってすぐ右の所に「一夜天神」という小さな祠があります。


その昔、菅原道真公が築紫(太宰府)へ流罪に処せられた時、この壬生の地に親戚を尋ね、一夜を明かし、惜しまれたという伝説があります。


「江戸時代前期、壬生寺の支院・寂静庵(じゃくじょうあん)の開基、託願(たくがん)上人の夢枕に道真公が立たれ、壬生の地に道真公を祀るように告命されたという。そこで上人は神像を刻み御社を建立して一夜天神(いちやてんじん)と名付けたといわれる。」



一夜天神は
「一夜にして智恵を授かる」として、学業上達の御利益を伝える。



★★壬生大念佛狂言(重要無形民俗文化財)


京の三大大念佛狂言(清涼寺・千本えんま堂)のひとつ。鎌倉時代、壬生寺を興隆した円覚上人(1223〜1311)が始めたもので、群衆にわかりやすい方法で、身振り・手振りで念仏を唱え、仏の教えを説いたのが壬生狂言の始まりである。笛・太鼓・鉦(かね)をバックに、仮面をつけて演者が演ずる無言劇は、清涼寺の狂言のスタイルに共通する。演目は30に及び、「大原女」「舟弁慶」「道成寺」「本能寺」などがあります。毎回の舞台のオープニングで行われる、派手なパフォーマンス、素焼きの皿を割る「炮烙割り・ほうらく割」が有名。一回の舞台につき1000枚割ると、9日間の舞台で9000枚割られることになります。

















★壬生塚(みぶづか)・・・壬生寺と新撰組について

新撰組は文久3年(1863)に、この壬生の地において結成された。現在もその屯所(とんしょ)跡が、壬生寺正門前の坊城通りに、2ヶ所残っている。かつて壬生寺境内は、新撰組隊士の兵法調練場に使われ、武芸や大砲(おおづつ)の訓練が行われていた。また新撰組にまつわる逸話(いつわ)も、当寺には数多く残っている。

この壬生塚に祀られてる隊士は、局長近藤勇の他に、屯所(とんしょ)で暗殺された近藤勇の前の局長である芹沢鴨(せりざわかも)や平山五郎、池田屋騒動で亡くなった新撰組隊士3名(勘定方・河合廊三郎)ら計11名が葬られている。毎年7月16日に池田屋騒動の日を朴(ぼく)し、「新撰組隊士等慰霊祭」が行われる。



●故・三橋美智也さん(写真)の「あぁ、新撰組」歌碑・・ ♪加茂の河原に千鳥が騒ぐ またも血の雨 涙雨・・・ 

●新撰組隊士慰霊塔・・壬生塚にある墓碑は、新撰組やその遺族らによって建てられたものである。

●誠 新撰組顕彰碑
















●近藤勇の胸像・・俳優の故・上田吉二郎が発起人となり、昭和46年に建立された。この横には近藤勇の遺髪塔も。
















●壬生塚にあるドラゴン池と朱塗りの橋 

●人丸塚(ひとまるづか)碑・・万葉集で知られる柿本人麻呂の灰塚と伝える。この碑は大正時代に建立されたもの。「人麻呂(ひとまろ)」が「人丸(ひとまる)」となり、「火止まる(ひ、とまる)」に通じることから火除けの御利益がある。















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